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本部情報58号

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http://dl.dropbox.com/u/20014389/honbujyoho58.pdf

本部情報58号 2012年6月8日発行

労働災害の事業主証明を拒否するJR西日本
中西剛組合員(近畿統括本部大阪支社四条畷駅)の疾病を、
労働災害として認めよ!


 4月1日、中西剛組合員が動労西日本に加入した。彼は、「双極性感情障害Ⅱ型」と診断され、現在加療中である。この疾病が、2005年4月の尼崎事故直後の、異常な職場状況の中で、極度の緊張を強いられたことに起因することは、明らかである。(裏面参照)
 しかし、JR西日本は、「業務との関連がない」と、労働災害の認定に必要な事業主証明を拒否している。そればかりか、JR西日本会社と御用組合・西労組の隠然とした圧力のもとで、何人もの労働者が、労働基準監督署の聞き取り調査に、何事もなかったかのような、「ウソの証言」を強いられている。尼崎事故の「山崎元社長無罪判決」と同じ構造である。
 真実を語れない会社・職場。職場の団結が破壊されているのだ。闘う労働組合を取り戻そう。
 動労西日本は団結して、中西組合員の疾病を労働災害として認定させるために、闘うものである。
 「稼ぐ」を経営方針にかかげ、労働者を人間ではなく「モノ」として扱ってきたJR西日本。その結末が、107人の尊い犠牲者をだした、尼崎事故だった。そして、極限的な合理化と労務管理の下で、数多くの労働者を精神疾病へと追いやってきた。その仲間の多くは、声をあげることもできずに、自ら職場を去っている。「労働者はやめてはならない。声をあげよう!」

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第5回臨時大会で挨拶する、中西組合員(4月21日、大阪・京橋)
動労西日本は、全ての青年労働者と団結して闘うぞ!
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(動労西日本・連絡先)

本部書記局:広島市東区光町1-7-15-208/携帯(090)7371-3107[野口照生]
       メール:dwh-west1715208@docomo.ne.jp
 
岡山連絡所:岡山市北区岩田町6-11/携帯(090)1325-0414[山田和広]
       メール:doro-nishi@ezweb.ne.jp/  
       ブログ=http://doronishi.exblog.jp/

近畿連絡所:大阪市西成区山王1-1-10-807/携帯 (090) 8120-9007[樫村厚]
       メール:fc.barca@ezweb.ne.jp

動労千葉=http://www.doro-chiba.org/

動労千葉を支援する会=http://www.geocities.jp/dorosien28/


中西組合員の疾病は、
尼崎事故による労働災害だ!
~JR西日本は直ちに事業主証明を行え!

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(以下は、中西組合員が、当時の四条畷駅長に提出した報告書の一部です。本人の了承を得て、ここに転載します。)

 まずはじめに、4月25日に起きた福知山線脱線事故により、適応障害という精神病の一種の病気に罹りました。発病までに到った概要を説明いたしますと、事故当日、私は勤務(四条畷駅・機動B)でした。最初は指令からの「車と衝突」「3時間ぐらいで開通の見込み」との旅客一斉放送を聞き、「3時間ぐらいで復旧するのやったらええわ」みたいな感じで勤務に就いておりました。そんな時同僚が「テレビを見たほうがいいぞ」と言ってきましたので見ますと、あの事故の光景がテレビの画面上にありました。それを見た私は、絶望感・手の震え・動悸の症状がでました。そのまま忍ヶ丘駅に移動しても、手の震え・動悸の症状が和らぎませんでした。そんな私を見た先輩から「大丈夫か?」「ちょっと休みや」と声をかけていただき、30分ぐらい休みました。しかしながら、手の震え・動悸が治まったにしろ、心の中までは癒されません。時を刻むにごとに、増える死傷者数、事故の悲惨さがテレビ上で伝えられていくのを見ていて、訳のわからない責任感ばかりに押しつぶされていきました。
 心の不快感を感じつつ勤務を重ねていくうちに、心は病んでいきました。どんな些細な苦情にも事故のことを言って突っかかってくるお客様の応対に、体は悲鳴を上げてきました。点呼時における黙祷に対しても、すごい罪悪感を感じ、朝のラッシュ時における原因不明の腹痛・下痢(後に病院に行った結果、外的なストレス要因)、勤務中の異様な緊張感、人間不信などの症状が出てきて、接客するのが怖くなりました。また、日常生活にも異常が出始め、尋常じゃない倦怠感・やる気のなさ・異常な睡眠時間・アルコール飲用量の増加・喫煙本数の増加などの症状も見え始め、生きていく希望がなくなりました。
 そんな症状が出ていながらも勤務は続けましたが、事故から約2週間経った5月13日、私は四条畷駅の改札の勤務でした。(後輩の見習付き)21時ごろ改札にて勤務していた時間、四条畷から新三田へ通勤をしているというお客様が改札に見え、私が応対いたしました。その内容は、阪急への振り替えを使うことにより、通勤時間が長くなったことへの苦情でした。お客様は長くなった通勤時間への補償の要求・JRと阪急の接続時間の案内の要求・まして阪急電車の時刻表の要求を、罵声をまじえて私に約1時間もの間、突っかかってきました。本来ならば当直係長を呼べばいいものを、私は見習いがいるという責任感で、自分で応対いたしました。そのことによって私は精神的に疲れ果て、身体的にも異常をきたしました。(前述に記載の症状の増幅)
       
       [中略]

 先輩は言います。これは、私傷病ではなく労働災害ではないかと。私もこれは労働災害だと思います。はっきり言って勤務時間中に起こった出来事により適応傷害にとなったのです。
       
       [後略]

2005年7月24日    四条畷駅・運輸管理係 中西剛
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by doro-nishi | 2012-06-08 22:00 | 本部情報 | Trackback | Comments(0)